共同研究者・山口真一教授のインサイト

信頼を積み直す ——
withフェイク2.0時代の
メディアの未来
国際大学グローバル・コミュニケーション・センター教授
山口真一
今、私たちが直面しているのは、単なる広告不振や部数減少といった「メディア業界の不況」ではない。情報そのものの足場が揺らいでいるのである。
フェイク情報は日常の風景となり、生成AIの進化によってディープフェイクは一部の技術者の専売特許ではなくなった。スマートフォン一つで、それらしく見える動画や音声を作れる時代である。
2016年の米国大統領選挙以降、私たちはフェイクと共に生きる「withフェイク時代」を生きてきた。これがAIによって、「withフェイク2.0時代」に発展しようとしている。
かつては映像や肉声が「動かぬ証拠」として重みを持っていた。しかし今や、それ自体が疑いの対象になっている。真偽を見抜く責任が日に日に受け手側へと移っている。その負担は、決して軽くはない。実際、2026年の衆議院議員選挙では、AIによって作られた関連動画が多く拡散された。
本来であれば、丁寧な取材と裏付けを積み重ねる報道の価値は、こうした時代にこそ高まるはずである。だが、現実には利用率も信頼度もじりじりと下がっているというデータが示されている。このねじれこそ、今の状況の核心である。
メディアの問題は、メディア業界だけの話ではない。私たちが何を信じ、どの情報を基に投票し、消費し、判断するのかという、社会の根幹に関わる問題なのである。
『ダイヤモンド・メディア白書2026』の意義は、この複雑な状況を感覚論ではなく、データに基づいて分析した点にある。生成AIという技術の波、経営の現実、人材の課題、そして社会の信頼。これらを切り離さず、「今どこに立っているのか」という現在地を示そうとしている。強い危機感で書かれた冒頭は、その覚悟の表れといえる。
第1章が明らかにするのは、メディア業界における生成AI活用の実態である。多くの企業がすでに導入しているが、全社的な運用に踏み込めているのは一部にとどまる。成果は主に効率化や制作スピードの向上に集中し、事業モデルを抜本的に変える段階には至っていない。一方で、「品質」「正確性」「法的リスク」への不安は大きい。何に使い、どこまで任せ、誰が責任を負うのか。その設計図が曖昧なままでは、本格活用は進まない。
第2章は、その背景にある経営の課題に踏み込む。経営者は外部環境の厳しさを認識している。SNSの拡大、発信者の多様化、広告市場の変化——。危機感はある。しかし「自分たちはどこへ向かうのか」という未来像を十分に語れているかと問われると、心もとないという結果だった。人材が最重要課題とされながら、幹部候補の体系的な育成は進んでいない。将来像が描けないから人が集まらず、人が足りないから変革が進まないという連鎖に入っている懸念がある。
第3章は受け手側の意識を扱う。信頼は長期的には低下傾向にあるが、同時に利用と信頼が一致しなくなっている点が重要である。インターネットは日常的に使われている一方、必ずしも最も信頼されているわけではない。人々は目的に応じてメディアを使い分け、信頼のよりどころも分散している。信頼は単純に失われたというより、低下と分散が同時に進行しているといえよう。
こうして見ると、本白書が示すのは「技術」「経営」「信頼」が同時に揺らぐ構図である。生成AIは効率を高めるが、扱いを誤れば信頼を損なう。信頼が弱まれば収益は不安定になり、人材投資も細る。その結果、品質管理やガバナンスが弱まり、さらに信頼が削られる。負の連鎖である。
本白書を通して見えてきたのは、生成AIを単なる便利な道具としてではなく、編集と責任の設計問題として位置付けること。そして、経営が自らの未来像を言葉にすること。何より、疑うことが前提となった社会において、検証と説明を可視化すること。信頼は取り戻すものというより、積み直すものである。
この白書は、社会的分断が広がるただ中で、私たちの現在地を静かに示している。だが、現在地を知るだけでは足りない。そこからどこへ向かうのかを描く責任がある。
メディアの未来を描くことは、業界の生き残り戦略だけではない。私たちの社会が、どのような情報を土台に議論し、合意をつくり、民主主義と市場を支えていくのかという問いそのものである。だからこそ、その未来像は曖昧なままにしてよいはずがない。
その鍵を握るのは、結局のところ経営判断である。技術をどう位置付けるのか。人材にどこまで投資するのか。短期の効率と長期の信頼のどちらを優先するのか。そうした一つひとつの決断の積み重ねが、産業の輪郭を形作る。
必要なのは、悲観でも楽観でもない。現実を直視し、議論し、責任ある判断を重ねていく姿勢である。本白書は、そのための出発点を示している。
本白書が、メディアの未来を具体的に描く一助になることを期待する。